運気アップのレッスン

人生がうまくいかないことの理由には、この運気をUPすると大きく関わってきます。

親族だけではなく、前世でさまざまな助けとなってくれた方のお墓参りをすることも、忘れてはいけません。
そのためにも、先ほど言ったように霊視によって自分の前世を知っておくことが必要なのです。

この世というのは、前世がなければ存在しません。
したがって、前世でさまざまな助けとなってくれた方への敬いの気持ちを忘れては、やはり今の人生をうまく生きていくこともできないのです。

こちらへ相談に来る方は、まさに十人十色といったようにさまざまな悩みを抱えています。
しかし、なぜそのような悩みを抱えるようになったかといえば、やはりその原因はほとんどが前世にまでさかのぼるものなのです。
このような前世とこの世の結びつきを、因果応報といいます。

このことを表す中国の説話に、次のようなものがあります。

ある山寺の老僧が、庭で突然一匹の狐に声をかけられました。
狐が言うには、自分はかつて500年も前の昔、この寺の住職を務めていたのだというのです。

ところが、あるとき人に対して誤った道を示してしまった。
その報いとして、狐に生まれ変わってしまったのだと語ります。

自分は本当はどのような道を示してやるべきだったのか。
狐はそれから500年もの間、ずっとそのことだけについて考えてきました。
しかし、今にいたるまで答えは見つからないと言います。

狐は、その答えをぜひ教えてくれないかと尋ねました。
老僧は狐に生まれ変わった住職を憐れみ、その正しい道を示してやりました。

すると悟りを得たように、これでようやく自分が死ねるとだけ言い残して、狐はどこかへ行ってしまったのです。
老僧は、すぐに修行僧たちに呼びかけました。
この寺の近くで狐が死んでいるはずだ、その狐を弔ってやらなければいけない、と。

程なくして、年老いた狐が死んでいるのが見つかりました。
山寺ではそれを盛大な法要によって、弔っってやったのだそうです。

他人に対して誤った道を示せば、自分自身もまた迷うことになってしまう。
この説話は、その真理を教えてくれています。

これは、現世の間だけでも起こりうることです。

運気

たとえば、不倫で人妻を奪ってしまった男性がいるとします。
すると、その相手との間に生まれた娘が、大人になってから結婚相手を奪われてしまう、ということもあるのです。

これもまさに因果応報、自分がかつて相手に与えた苦しみが、自分の娘に返ってきてしまったわけです。

また、人というのは抑えようとしていても、どうしても感情に突き動かされてしまう場面がよくあります。
その結果、あまりネガティブな感情ばかりに支配されていると、やがてその顔つきや口調までが、どんどん別人のように変わっていくことがあります。

あいつが憎い、消えてしまえ、などと考えているときには、その姿は傍から見ていても見るに堪えないものとなってしまいます。

これはつまり、人に対してネガティブな感情ばかりを向けていると、結局は自分に返ってきておぞましい姿になってしてしまう、ということなのです。

その逆に、相手を大きな気持ちで許すようにしていれば、優しく、明るい表情となり、周りの人々もまた優しい気持ちになれるでしょう。

自分に対して何もされていなければ、ほとんどの人は他人に優しい気持ちを持つことができるものです。

しかし、普通であれば許されないようなことをしてしまった相手にも、そのような優しい表情を向けるとどうなるでしょうか。
相手の心には、その表情が深く刻み込まれることになるでしょう。
その感謝の気持ちを、けっして忘れることはありません。

いわゆる、「昨日の敵は今日の友」という心持ちですね。
これを実践できるようになれば、かならず自分にとってもよい感情ばかりが向けられるようになるはずです。

この世で何かを行えば、その報いはかならず回りまわって自分の元へと返ってきます。
この報いは、この世だけではなく生まれ変わった先までも続くことになります。
そのために、前世の人生というものはこの世の人生と切っても切り離せない結びつきがあるのです。

この世で運を開くには、まず自分が前世で行ったことを知り、この世でするべきことを考える。
先ほど言ったのは、こういうことなのです。

ただし、前世を知るということは、いきなり今の自分がまったく知らない事実を突きつけられることになるので、ときにはとても辛い体験にもなりえます。

だからといって、それを放っておくだけでは結局この世で何も変えることはできず、さらに来世にまで同じ苦しみを引きずってしまうことにもなりかねません。
今、ここで断ち切らなければ、その苦しみはいつまでも繰り返されることになってしまうのです。

この苦しみというものには、身近なものでは高所恐怖症や水が怖くて泳げない、といったものが挙げられます。
このように理由のない恐怖というのは、前世での行いできたトラウマが原因だということもよくある話です。
前世で作った苦手意識と向き合わないかぎりは、これらの恐怖症を克服することはできません。

そして前世で犯した失敗や罪は、かならずこの世で改めることができるのです。

考えようによっては、前世の行いというのは、あくまで今の自分がしたことではありません。
つまり、生まれ変わった自分なら、きっとやり直せるはずだ、と。
そのように言い聞かせることで、恐怖心を抑えてやることもできるのです。

このように何か思い当たるような原因もなく、うまく物事が運ばない、何かと失敗してしまう、などという人は、一度霊視によって前世を調べてもらうことをおすすめします。

自分だけではどうしても知ることのできない、前世での呪縛が原因となっていることも多いのです。

他人にかけられたものなのか、あるいは自分でかけてしまったものなのか。
いずれであっても、この世で呪縛を受けてしまうことには変わりがありません。
よい人生を送るためには、呪縛がかかったままでは絶対に無理です。

そこで、こういった呪縛からの解放を、お祓いや祈祷によって行うわけです。
そしてそこまでたどり着くためにも、自分自身の辛い前世を知る覚悟は、どうしても必要となるわけです。

山登りでも、途中で諦めてしまっては、頂上に向かうことも麓に降りることもできなくなってしまいます。

どれほど辛いと感じても、かならず自分から動かなければいけない局面はあります。
しかし、それがどれほど辛い努力であったとしても、かならずどこかで誰かから見守られているものです。

それがいわゆる、神や仏といったものだと考えてもよいでしょう。

ところが困ったことに、現代の人々はこのような神や仏に対して、かなり間違った感覚を抱いている人も多いようです。

たとえば、パワースポットを訪れれば、自分の望みが叶う、もっとひどい場合には、何かご利益があるに違いない、などと考えてお参りをする…。

これは、俗にいう「現世利益」というものです。

しかし、神や仏に対する信仰というものは、けっしてそのような見返りを求める心がけではありません。

たとえば、このような現世利益ばかり求めている人達は、仮に自分の思い通りにならなかった場合はどのように考えるでしょうか。
しょせん、神や仏に祈るだけ時間の無駄だ、という結論になるでしょう。

このようなものを、間違っても信仰とは呼んではいけません。
欲望をむき出しにした、ただのわがままです。

こんな人たちばかりがあふれ返った世の中というのは、大変なものです。
とにかく自分たちの望みさえ叶えばよいのですから、他人のことなんてまったくのお構いなし。
あちこちでぶつかり合いが起こって、やがてそれは争い事へと発展していくでしょう。

欲望からは争いしか生まれません。
そこで自分の欲望を捨て、少しでも相手の身に立って考えることができるようになれば、自分の利益を捨ててでも、困っている人を助けようと思えるものです。

神や仏を信仰するというのは、このようにして自分の心を成長させるものだということをおぼえておいてください。
けっして、自分の欲望を満足させるためなんかではないのです。

そもそも、本来の意味でいう「現世利益」とは、神や仏からこの世にもたらされる恵みのことを言います。
もちろん、これは神や仏が無条件で与えてくれるものではありません。
自分の心を成長させていく努力を行っていくと、自然と得られるものなのです。

実際に、現世利益を求めて修行をしていると、いかにこの世のものがすべてありがたいことばかりで埋め尽くされているかということに気がつかされると思います。
それを知ることで、誰に対しても優しくなり、ささやかな幸せにも感謝の念を抱くことができるようになるでしょう。

ずいぶんと長い説明になってしまいましたが、ようするにみなさんに分かっていただきたいのは、こういうことです。
古くから行われてきた習慣を大切にし、神さまやご先祖様を敬って生きていきましょう、と。
神さまやご先祖さまへの敬いは、この世への感謝につながります。
皆がこの世に感謝をしていれば、けっしてあれがほしいこれがほしいといったトラブルや争い事などは起こりません。

現代では、昔では考えられなかったようなさまざまな問題が発生していますが、このような古い習慣を忘れてしまったことも、ひとつの原因といえるでしょう。

たとえば現代人の驚くべき感覚として、実際にこのようなことがありました。

その方はすでに還暦を超えて、若い人たちを導いていくような立場の人です。
それでありながら、自分の祖父母は夫婦ともに養子だったので先祖とは血がつながっていない、だから墓も守っていく必要はないのでは、などと申し出たのです。

なぜ、このような考え方になってしまうのでしょうか。

血がつながっているとか、つながっていないということはまったく問題ではありません。
祖父母はご先祖さまの暮らした土地で生活を受け継ぎ、その結果として今の自分があるわけです。
いったいどこに、ご先祖さまとの断絶を感じることがあるのでしょうか。

これもやはり、この世に対する感謝の気持ちが足りないせいだと思われます。
感謝があれば、そのような発想自体が出てくるはずがありません。

そして、感謝がないからこそ、手軽にパワースポットなどと呼の、幸せや力を手に入れようと考える人も出てくるのでしょう。
ただ、その場所へ行けば、幸せになることができる。
もちろん、そんな虫のいい話はありません。

パワースポットは、そもそも誰にとっても運を開いてくれるわけではないのです。
人にはそれぞれ、運を開くべき場所というものがあります。

ここにも、前世とのつながりが大いに関わってきます。
前世でもそこがその人にとって良い場所であれば問題ないのですが、悪いことがあった場所であれば、けっして縁起が良とはいえないでしょう。

そのことを知らずにやみくもにパワースポットを訪れていても、下手をすれば逆効果です。
こういった意味でも、自分の前世に何があったかを知っておくのはとても重要なことなのです。

実際に、「縁」というのは人生にとってとても大きなものです。
私自身の現在も、ある出会いによって大きく影響を受けています。

それは、母を亡くしてから十年以上も経ったころの出来事でした。
まさに母と再会したかと思えるような、先生との出会いが会ったのです。

おそらく、前世にあっても私たちは親子だったのでしょう。
その強烈な出会いがきっかけで、私はそれまでの人生観が180度変わってしまい、それまで想像もしなかったような世界へと足を踏み込むことになりました。

ここまでに説明してきたように、良い人生を切り開くうえでは、霊視を受けることがとても重要です。
しかし、それは一度きりではあまり意味がありません。

なぜかというと、まず最初の霊視では運を開くための大きな方向性が伝えられることが多いからです。
そしてその方向に進んでいくことによって、さらに次の霊視でもっと細かく、どちらへ進んでいけばよいかということを教えてもらうことができるのです。

このように、道というのは一方向に延びているわけではありません。
特に、これまで苦労してきた人生を送ってきた人であれば、そこから運を開くまで導くには、とても複雑な進み方が必要となります。

魂を二度と淀ませないよう、つねに霊視やお祓いで清めながら、前世から引き継いできた悪いものを取り除いていかなければいけません。

黄金のヘビ

たとえばサッカー選手でいうと、第一の霊視については、とにかくこのトレーニングさえ行っていれば、かならずワールドカップの舞台に立てるようになるはずだ、という方法を教えてもらうようなものです。

あとは、そのトレーニングをどれだけ努力できるか。
最終目的に到達できるかどうかは、自分自身にかかってくるわけです。

しかし、サッカー選手というのはつねにベストコンディションを維持できるものではありません。
自分でも気がつかないうちにキックフォームが崩れて、思うようなプレーを行うことができなくなる、そんなことも日常茶飯事です。

このようなとき、有効な方法がビデオチェックです。
ビデオで撮った自分のフォームを細かく見ることで、どのように改善していけばよいか、ということが分かるわけですね。
二度目に行う霊視というのが、つまりこれに当たります。

もちろん、ここでもビデオは手助けをしてくれるにすぎません。
そのフォームを見なおして、改善していくのはあくまで自分の努力なのです。

私自身はこのようなフォームチェックを、最低でも週に1回は先生から受けていました。

もともと英彦山に登れば運が開けるということは霊視で示されていたのですが、実際にそこへ行くまでには半年以上も修行をしなければいけませんでした。

まだ20代と若かった私には、なぜそれほど鍛えなければならないのか、正直なところよく分かっていませんでした。
しかし、実際に登山してみたところで、当時の自分がいかに何も見えていなかったのか、ということを思い知らされたのです。

そこで私は、自分より2回りも年上の女性である先生に、まったくついていくことさえできませんでした。
結局、私にはまだ山を登るだけの霊力が備わっていなかったのです。
まさに、自分自身の無力さを知ることができたわけです。

そして同時に、霊能者というのは本当に何もかも見通すことができるのだなと、改めてその力に感服させられたのでした。

特に、人間というのは自分自身のことが一番見えなくなるものです。
灯台下暗しとはよく言ったものですね。
だからこそ、自分自身を照らし出してくれる灯台のような存在がとても大切なのです。

なかでも、立派な霊能者である先生に道を照らしてもらうことのできた私は、そういった意味でも本当に幸せだったと思っています。
縁というのは本当に不思議なものであり、同時にありがたいものです。
みなさんにとってもっとも身近な「縁」といえば、やはり結婚かもしれませんね。
一般的には、出会い自体を縁だと呼んで、良い結婚に結びつくはずだと考えてしまうことが多いと思います。

日の出パワー

しかし、縁にも良いものと悪いものがあります。
婚期を逃してはいけないと焦って、とにかく出会った人と結婚をしてしまおう、などという考えはおすすめできません。
結婚というのは、人生の大半を決めるといっても過言ではありません。
間違った選択をしてしまうと、その後の進路も大きく狂わせてしまうものです。

自分の人生はどのような方向性に行くべきなのか。
そのことをまず、よく知っておかなければいけません。

そして、同じ方向へ歩んでいけるような相手との出会いをこそ、よい「縁」と考えるわけです。
自分にとって間違いのない、正しい縁を見きわめられるように、あらかじめ自分の行く道を見さだめておくことが必要ですね。

また、結婚と並んで大きな人生の大きな選択に、家を建てるということもあります。

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